7.13.2020

ことの葉



いつも内側のどこかに
言葉が自然に流れていて
それが出てくるのを
ゆきつ戻りつしながら
わたしは待つ

その水面みなもに浮かぶ舟のような
ゆらぎの中を漂い
言葉はだんだんと
かたちになる
まるで意志のように

それが溢れ出てきたときは
もう出すしかない
いそいで
そして
頭でその言葉をなぞって

意識と意識の下に沈んだ
みえない意識のこころに尋ね
そこに曇りのない言葉たちが
浮かんでくるようすを眺め
これなのだと

そうしたら もう
あとは解き放つしかない
出てくるのを待っていたのだから
たどりつくところへ
向かっていくのだと




















*

私たちは大なり小なり
住んでいる場所の影響を受けている
火山の国で生きていると
バーンと弾けるようなエネルギーとか
ためてためてドカンとかの影響
自分の中のあるあるを感じる
人によって程度の差はあるし
全く反対に慎重な人もいるけれど

では
言葉を放ったとき
そのエネルギーは火山のように
どっと噴出したのか..
と思うと
自分の場合
なんども触れられ
やっぱりそうなのだと
何かの確信をもって
形になっているように思う

だからその言葉の源泉を感じた時と
言葉として出すタイミングにはタイムラグがあって
発するときにはもうエネルギーが変わってしまって
同じことを感じていない時もある
そういう時は
言葉はお蔵入りのように
アーカイブに残っていたりする

(今回のブログも文章を記してから写真を選び
こちらに掲載するまでに3週間もたってしまいました)

それなのに 信じて放った
わたしにとってのタイミングは
人にとってのタイミングでは
なかったのかもしれない
よきにと思ったことが
どこかで傷つけたり
苦しめているかもしれない
というゆらぎが
後から生じる

自分のことばの魂を
信じきれずに 手繰り寄せて
舌のようにひっこめようとして
もうできない

ではどうしたらいいのって
目を伏せて もう見ない
ほかのところへいく
よけいに執着がのこる

そんなひと巡りをしてから
やっぱり 信じて
しんじて
しんじて

あたたかい光に
つつまれたときに
そっと手をはなす

あとはもう
その光のなかに
ゆだねるだけ 

13 july 2020







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